この記事の投稿日:2024年01月01日
「開院16周年」
最近はあまりいいこともなく、令和五年は院内感染を防ぐため、患者さんのため、スタッフを守るため、もちろん自分を守るためにも、必要あると判断した場合には、コロナ検査(PCR、抗原検査)を積極的に行い、時には大病院に入院を断られたコロナ患者さんの治療までしたのに、その挙句に平均点数が高すぎるとして、厚労省から指導(集団的個別指導)を受けました。これまで、断じて無駄な検査をしたつもりはございませんが、知りたい情報があるから検査をすれば、点数が高くなってしまい、今後2年間はチェックが厳しくなり、さらに厳しい第二段階の指導(個別指導、さらには査察)を受けさせられることとなってしまえば、仕事ができなくなるので、深く反省している今日この頃です。
さらには、患者さんからのお叱りを受けて、こんなことは開業以来初めてのことで、少々鬱気味です。なかなか人間相手の仕事はうまくいかないものですね。
また、令和五年秋には、私自身、シフラという腫瘍マーカーが異常値まで上昇して、癌の疑いが強くなり、全身CT、PET、気管支鏡(かなりしんどい検査でした)検査まで受けましたが、結果的には気管支炎でしたが、まだまだ油断できず経過観察中ですので、私の身体も全く万全ではありません。この先どこまで仕事が続けられることやら?でも家族を養っていかなくてはならないわけで、身体とズタズタの心に鞭打って頑張るしかありません。また、5年経った脳の手術も並行して経過観察しております。
またさらに個人的なことをいえば、歯学部時代の同い年の友人を令和四年末にコロナで亡くしました。54歳でしたが、彼の死も本当に人生って短く儚いものだなあと寂しくて仕方ありません。彼とは父親の時代からの歯学部の同期で、お互い留年で学年がずれてしまい卒後なかなか会うことはできませんでしたが、こんなに早く亡くなるなんて思ってもみなかったので、いつかまた会えると思って30年の歳月が流れていました。学生時代は、彼の実家である石垣島に1週間居候させてもらいゴルフを教えてもらったり、石垣島最北端の灯台からの満天の星空、ボウリングに焼肉、大学のあった小倉から萩まで真冬に雪の中ドライブしたり、彼との思い出は私の青春時代の心の宝物です。まさか、学年でも元気自慢、ポジティブシンキングで、野球にゴルフ、ボーリングとスポーツ万能の彼が、54歳で生涯をとじるとは、医者である私にも予想だにできないことでした。沖縄に住んでいたとはいえ、もっと早く彼に連絡をとっていたら…学生時代の御礼を言えたなら…後悔ばかりです。人と人は一期一会の出会いなんだなあと思うことしきりです。
皆さんも、お仕事もお忙しく、私生活も色々あるでしょうけれども、医者も人です。波長が合う人もいれば、合わない人もいるのは事実です。どうか私と波長の合わない方には、私より素晴らしい名医は大分にも多数いらっしゃいますから、波長の合う医者と早く出会えることをお祈り申し上げます。そういう点では、今の日本の医療はフリーアクセスでどこの医院にも受診できますから、(大病院は紹介状が必要ですが)、あちこち受診するのは悪いことではないのではないかと思うのが、私見です。