院長のご挨拶
「開院16周年」
最近はあまりいいこともなく、令和五年は院内感染を防ぐため、患者さんのため、スタッフを守るため、もちろん自分を守るためにも、必要あると判断した場合には、コロナ検査(PCR、抗原検査)を積極的に行い、時には大病院に入院を断られたコロナ患者さんの治療までしたのに、その挙句に平均点数が高すぎるとして、厚労省から指導(集団的個別指導)を受けました。これまで、断じて無駄な検査をしたつもりはございませんが、知りたい情報があるから検査をすれば、点数が高くなってしまい、今後2年間はチェックが厳しくなり、さらに厳しい第二段階の指導(個別指導、さらには査察)を受けさせられることとなってしまえば、仕事ができなくなるので、深く反省している今日この頃です。
さらには、よかれと思ってしたことで、患者さんからお叱りを受けたり、こんなことは開業以来初めてのことで、少々鬱気味です。なかなか人間相手の仕事はうまくいかないものですね。
また、令和五年秋には、私自身、シフラという腫瘍マーカーが異常値まで上昇して、癌の疑いが強くなり、全身CT、PET、気管支鏡(かなりしんどい検査でした)検査まで受けましたが、結果的には気管支炎でしたが、まだまだ油断できず経過観察中ですので、私の身体も全く万全ではありません。この先どこまで仕事が続けられることやら?でも家族を養っていかなくてはならないわけで、身体とズタズタの心に鞭打って頑張るしかありません。また、5年経った脳の手術も並行して経過観察しております。
またさらに個人的なことをいえば、歯学部時代の同い年の友人を令和四年末にコロナで亡くしました。54歳でしたが、彼の死も本当に人生って短く儚いものだなあと寂しくて仕方ありません。彼とは父親の時代からの歯学部の同期で、お互い留年で学年がずれてしまい卒後なかなか会うことはできませんでしたが、こんなに早く亡くなるなんて思ってもみなかったので、いつかまた会えると思って30年の歳月が流れていました。学生時代は、彼の実家である石垣島に1週間居候させてもらいゴルフを教えてもらったり、石垣島最北端の灯台からの満天の星空、ボウリングに焼肉、大学のあった小倉から萩まで真冬に雪の中ドライブしたり、彼との思い出は私の青春時代の心の宝物です。まさか、学年でも元気自慢、ポジティブシンキングで、野球にゴルフ、ボーリングとスポーツ万能の彼が、54歳で生涯をとじるとは、医者である私にも予想だにできないことでした。沖縄に住んでいたとはいえ、もっと早く彼に連絡をとっていたら…学生時代の御礼を言えたなら…後悔ばかりです。人と人は一期一会の出会いなんだなあと思うことしきりです。
皆さんも、お仕事もお忙しく、私生活も色々あるでしょうけれども、医者も人です。波長が合う人もいれば、合わない人もいるのは事実です。どうか私と波長の合わない方には、私より素晴らしい名医は大分にも多数いらっしゃいますから、波長の合う医者と早く出会えることをお祈り申し上げます。そういう点では、今の日本の医療はフリーアクセスでどこの医院にも受診できますから、(大病院は紹介状が必要ですが)、あちこち受診するのは悪いことではないのではないかと思うのが、私見です。
「開院14周年を迎えて」
令和元年に、硬膜動静脈瘻という脳の病気を患いました。症状は拍動性のヒュウヒュウの耳鳴のみ。自分で診断をつけ、発症後1日で脳外科を受診し、各種検査を経て確定診断されました。当初は、転移性悪性腫瘍の疑いもあり、遺書も書きました。幸いにして、全身麻酔による3週間の入院、初めてのICU入室もありましたが、術後3年、再発なく元気です。十数年前には開頭手術であった疾患が、脳血管手術(カテーテル手術)で改善する医学の進歩、そして高額な医療も保険料さえしっかり払っておけば、最低限の支出で治療できる日本にしかない皆保険制度、高額療養費制度にも感動しました。それを機に、それまで突っ走ってきた仕事を考え直し、公職を減らし従来の働き方を変えました。診療時間は短縮されており、皆さんにはご迷惑をおかけすることもあるかとは存じますが、細く長く地域医療に貢献することで恩返しすることにしました。今後ともよろしくお願い申し上げます。令和3年春
大分市医師会理事(広報、IT担当)
大分市医師会立アルメイダ病院運営委員(看護部、救急部担当)
大分市医師会立看護専門学校 副校長
大分市医師会立准看護専門学院 講師
大分市介護認定委員会 委員長
大分市健康危機管理小委員会 副委員長
大分県社会福祉審議会 委員
大分市立滝尾中学校 耳鼻咽喉科学校医
大分市立滝尾小学校 耳鼻咽喉科学校医
大分市立森岡小学校 耳鼻咽喉科学校医
ご挨拶「開院7周年を迎えるにあたって」
早いもので,開業して7年の月日が経とうとしています。これまで,地域医療に尽くすという信条で突っ走ってまいりましたが,はたして皆さん方の本当にお役に立てたのか,不安に思うこともあります。反面,自分のこれまで培ってきた医学的知識を基に,皆さんの病の訴えを聴き,ファイバーやCT,レントゲンなどの機器を用い診察し,必要な処置を行い,薬を処方する。内服で限界がある時は,点滴をし,それでも限界がある時は手術をお勧めする。そういう日々を7年間過ごして参りました。それはひとえに,先人達の努力による医学の発展があったからこそ,百年前は命に関わる病であったものが,薬を飲むだけで治せるようになったのです。
しかしながら,皆さんが思うほど今の医学は進歩していない部分があるのも事実です。いくら工夫をしても反復してしまう子供の鼻汁,鼻閉,そしてそれに伴う咳,治らない,繰り返す中耳炎。風邪を引くたびになる副鼻腔炎。鳴り止まない耳鳴。若い年齢の方でも進行していく難聴。また,薬を用いれば,副作用が出ることもあります。昨今,食物アレルギーで有名になったアナフィラキシーショック。患者さんを治すためのお薬で起こることであり,医療ミスでもないのに患者さんにご迷惑をおかけするし,医者も人ですから,精神的にショックが大きいものです。これまで一度も薬のアレルギーのなかった方でも,起こりうるものであり,それを予知する術を今の医学は持ち合わせていません。
ネガティブな話ばかりになってしまいましたが,ここまで無事に来れたのも当院にお見え頂く皆さん,私を支えてくれるスタッフ,家族,そして当院に携わる薬品や器械の業者さんのおかげと感謝致しております。
「積善余慶」医師であった祖父から引き継いだ小生の座右の銘ですが,これまでも,これからも,なお一層地域の皆さんの健康にお役に立てますよう,努力してまいります。今後ともよろしくお願い申し上げます。
「開院2周年を迎えるにあたって~感謝とともに~」
首藤耳鼻咽喉科は平成21年6月18日、開院2周年を迎えました。
これもひとえに,暖かく見守って下さった皆さんのおかげと,深く感謝申し上げます。
2年前,地域の皆さんに,曾祖父の代から医業を行ってきたこの滝尾の地で,ご恩返しをするという目標を胸に開業した私でしたが,振り返れば不安でいっぱいでした。そして,その不安を打破すべく,これまでの耳鼻咽喉科にはない,下記の点を実現するに至ったのです。換言すれば,入院施設もない小さな耳鼻咽喉科ですが,それゆえに地域の皆さんに密着した医療が可能になるのではないかと,首藤耳鼻咽喉科にしかない,首藤耳鼻咽喉科にしかできないことを,やろうと思ったのです。
医科,歯科に重複する疾患への対応
自分自身が医師であり歯科医師であること
歯科併設(首藤歯科クリニック 院長:父 首藤洋治)であること
インプラントに関わる疾患,顎関節症,歯性上顎洞炎への対応
インプラントを行う歯科医師への耳鼻咽喉科的見地からのアドバイス
予防医学の促進,地域医療/社会への還元,貢献
インフルエンザワクチン,HIBワクチン接種の促進
森岡小学校,滝尾小・中学校 学校耳鼻咽喉科医の受諾
大分市社会福祉審議会 専門分科会 臨時委員の受諾
禁煙外来(保険適応)
大分市の耳鼻科では初の保険適応認定施設(当時)
明るくフレンドリーな雰囲気,充分な説明
「耳鼻科(の医者)はこわい」からの脱却
必要にして充分な検査(必要以上の検査を行わない)
可能な限り即日検査を行う
CT,ファイバー,エコー,血液検査,聴力検査など
必要な時には手術
アレルギー性鼻炎,花粉症に対するレーザー手術など
滅菌,消毒の徹底
近隣病院との病診連携(大分県立病院 地域医療連携登録施設)
必要のある患者さんを適切に紹介するとともに,耳鼻咽喉科のない病院への往診を行う
紹介先,紹介元:大分大学病院,大分県立病院,健康保険南海病院(佐伯市),大分日赤病院歯科口腔外科,アルメイダ病院,野口病院,大分こども病院など
往診先;アルメイダ病院など
最新医療機器の導入
最新医学知識の研鑽
日本アレルギー学会外来見学研修 認定施設(当時)
そして今,この2年間で1万人の皆さんにご来院頂いたことで,一耳鼻咽喉科医療機関として覚えて頂きつつあることに,自信と希望を抱くとともに,さらにお役に立てるよう職員一同気持ちを引き締めて参りたいと存じます。今後もこれまでと変わらず,首藤耳鼻咽喉科(しゅとじび)をよろしくお願い申し上げます。
平成21年6月 梅雨の晴れ間に
首藤耳鼻咽喉科 院長 首藤 純
「開業のごあいさつ 平成19年6月18日」
はじめまして。院長の首藤純です。このたび、大分市津守(滝尾地区)に「首藤耳鼻咽喉科」を開設させていただくことになりました。これまでこの滝尾の地で、曾祖父の代より地域の皆様の健康に役立てるよう努力してまいりましたが、ようやく私もお世話になってまいりました方々にご恩返しをさせていただくような気持ちです。
私は今まで歯科医師として14年、医師として10年、医療に携わって参りました。その経験の中で感じましたことは、現行の医療制度は医科と歯科に分割されており、医師は歯科のことを、歯科医師は医科のことを、完全に把握しているとは言いがたいのが現状です。幸いにして私は両方の免許を取得し、医科と歯科の境界領域である顎顔面領域に関係する耳鼻咽喉科を専門としておりますので、双方の知識を生かした診療ができると考えております。また、当院の1階には父がこれまでどおり、歯科医院を開業しており、私もその副院長を兼任しておりますので、耳鼻咽喉科と歯科の双方からの疾患に対するアプローチ、診療が可能です。
またこれまで私は、大分大学医学部附属病院、大分県立病院、健康保険南海病院(佐伯市)各耳鼻咽喉科に勤務して参りました。これら大病院には癌の手術など命に関わるような大きな病気を治療する使命があります。しかしながら、患者さんすべてが大病なのではありません。大病院では検査を行うのに何週間も待たされることも稀ではないのです。大切なのは、軽微な症状のうちに、すなわちできるだけ早期に的確な診断をし、必要に応じて(つまり心配な病気は)速やかに大病院に紹介をすることなのです。そこで開業するにあたり入院施設はありませんが、最新の医療機器を装備し、小規模で小回りのきく医院を目指すことにしました。そのために設備を充実させ、あえて重装備型のクリニックとしています。そうすることで患者さんがあちこちの医院を渡り歩くことなく、また大規模病院では予約して後日行う検査を、可能な限り当日に速やかに施行することで、早期に診断し患者さんの利便性を図ろうと考えています。その上でより高次の医療機関による治療、検査が必要な場合は、私が勤めていた大分大学医学部附属病院や大分県立病院などに、検査結果とともに速やかに紹介させていただくように考えています。
迅速的確な診断、目で見てわかりやすい説明、大病院との連携を図り、今後も最新の医療機器を導入し、地域の皆さんのお役に立ちたいと考えています。